パントリーファクトリー

映像作品はあくまで映像や音響を楽しむものであって、作品を通したメッセージや解釈にばかり評価がいくのはいかがなものか。ただ伝えたいことがあるならば本やエッセイでできることではないか。

 

映画好きな推しはそう語った。

 

映画を見ないので共感には至らなかったが、その考え方はとてもしっくりきた。

絵なら絵で、歌なら歌で、文章なら文章で、役なら役で感じさせないといけないなと思った。

 

神はサイコロを振らないの夜永唄という大好きな曲がありまして、かなり思い入れの強い曲なのですが。それ故なのか、どうしても納得のいく出来に至らなくて1年ほど悩んでいます。よくカラオケに行っていた歌をやっている友達に、他の曲の方がよかったよと言われてとても悔しい思いをしています。

何が違うんだろう、何がいけないんだろう…

1番自分の中で心が動いて時々泣くこともある曲なのになあ…

想いが強いという意味では1番いい歌になるはずなのに…

そんな悩みのヒントになりました。

 

泣き喚いたり叫んだりするというのが間違いではないと思う。

ただそれが引き出しの内になったりセリフのようになってしまうと、歌としての価値からはズレてしまうのではないかということをここ数日考えています。結論というよりはまだ色々と考えてる途中だけど。

 

想いを吐き出すというよりは、全て込める。

押し付けるのではなく、何か感じて貰えるような音声作品を作り上げる。

そんな意欲が芽生え始めています。

 

想いがあるのは結構、泣きすぎて歌えなくなるのも結構。

叫んで声が裏返ったって別にいいと思う。

むしろそのくらいの想いの強さは持っておきたい。

けどそれはLIVEの呼吸なのだ。

歌を聞かせたい時はもっとその曲の世界観を感じて貰うことにこだわりたい。

自分が見て感じたことを知って欲しいならブログでもやればいい、

歌そのものから何か感じて貰えるようになりたい。

 

高い声が出るとかビブラートが上手いのはすごいなって思う

それが人の心を動かすのなら一生懸命努力したいけど、自分はそうじゃないなあ…そんなことを考えてましたね。

 

上手くなりたいねえ