2021/09/08

こんばんは。

 

夜はすっかり秋の空気が流れていますね。こんなことを言うのも照れくさいのですが、空気感にいつも少し胸がキュッとする感じがあって感傷的な気分になります。

今日はさユりさんの新曲「世界の秘密」を聴きながら帰ったのですが、これがまた神秘的な曲でしてね。感傷的な気分とめちゃくちゃマッチして、これはまたリピートする曲が増えてしまったなあ…と帰り道が楽しみになりました。

ギター弾き語りを軸にバンドサウンドなイメージが強いのですが、今回はピアノのコード感がメインにきていて、同じバラードでも他の曲とはかなり違う印象を受けましたね。ただその中にも従来のノイジーなギターがあって安心したり、ストリングスって言うんですか?(間違ってたら恥ずかしい)電子系の弦楽器的な音も更に盛り上げて、らしさが残りつつも新しい刺激に富んだ曲だなと思いました。

そして何より素敵な演奏に乗っかる素敵な歌声。これはもう好きとしか言いようがない。歌声が好きだ、以外に感想がしばらく出てこない。強いて言うならサビのファルセットが入り混じる感じがとっても引き込まれる…どこが好きか探そうとすると聞き入ってしまって前に進めなくなってしまう…

再生を止めようと画面を開いた時にジャケット写真を改めて見て、「うわ、まさにこれだ」と、まるで答え合わせをするかのような感動もありました。無限に広がる星空、そしてその先に続く宇宙の広大さ…素直に出会えてよかったなと思います。

 

 

友達と人と関わることについて、優しさについて…など話していました。

かなり漠然とした話題だと思うのですがまさにその通りで、具体例を探すとまさにキリがありません。なのでこれから書くこともかなり抽象的な話になります。

じゃあ何で書くのかというと、それでも明らかにして整理しておきたい気持ちがあったからです。同じような人がいた時にうまく伝えられたらいいなと思って。

 

思っていることや考えたことを伝えると多くの人に「考えすぎ」と言われるんだけど、自分はそれをよくないことや短所と思わなくていいと思ってるし、それに悩む人がいたら止めたい。

「考えすぎても答えは出ないから」「結局行動が全てだから」「考えすぎても気に病んでしまうから」

大体の人がこう言うと思うし、自分もそう思う。

ただ知らない内に失敗した時の後悔に比べたらよっぽど軽いし、何より「良い関係を築きたい」という前向きな気持ちが根っこにあるからだ。部分的に修正することはあっても否定はできないと思う。修正といってもせいぜい格闘技のレフェリーによる警告みたいなもので、入るのも「相手の考えを決めつけている時」「悲観的になりすぎている時」「ループしている時」くらい。

分からないからこそ手を伸ばしたいわけで、思いを巡らせることは決して後ろ向きな姿ではないと思う。

それに他人の「よくないよ」という目を気にしてネガティブであること自体を否定的に見てしまうと、自分そのものに否定的になってしまう。自分で肯定できない内面がある限り一生自信は芽生えない。少なくとも自分はそうだった。「まあ、それも自分なんだよな」と思えるまでにかなり時間がかかったけど、自虐的になることはほぼ無くなった。自分で自分を責め続けても何も生まれないと分かったからだ。表面的なポジティブシンキングでは絶対に辿り着けなかったと思うし、どちらにせよ心からの想いはどこかで結局向き合う場面が出てくる。

 

ネガティブはポジティブから生まれるし、

ポジティブはネガティブから生まれる。

月と太陽、表と裏、静と動、そういう陰陽的な考えがすごくしっくりくる。

物事には二面性があり、人の気持ちも分析してみれば色々な気持ちが混ざっていたり、逆に殆ど含まれていない場合だってある。

 

考えているだけでは分からないけど、だからこそ繋がることに意味があると思える。自分のいいように解釈をして生きていくことはある意味幸せなのかもしれない。でも俺は嫌だなあ。裏切られることは悲しいし、知らない内に裏切ってしまうのも怖い。そうやって人が遠ざかっている人を見る度に昔の自分と重ねてそう思う。せめて自分の目で見届けたい。だからこそこれからも一生ネガティブでいたいと思う。ポジティブに生きるために。

 

 

そんな感じです。