自分も元々、物が捨てられない人間だった。そもそも整理整頓がどうしようもなく面倒で、年末の大掃除というイベントも脳内カレンダー入りを認めていなかった。
しかし、家族の遺品整理をしていた時「自分のものは自分で処理したいな」と思ったことがある。
人の命もそうだが「物」も永遠ではない。どんな物も必ずいつか朽ち果てる時がくる(宝石とかは知らんけど)。もし自分と家族親戚が一斉にこの世から去ることがあった場合、赤の他人に大切な物たちが業務的に処分されることを想像すると、どうせ結果的に捨てられるなら自分の手でお別れをしたいと思うようになった。
物を購入する時や整理整頓の度に最期のことを思うのもまあ気が重い話かもしれない。もっと楽にラフに適当に考えていいことだろうし、愛着のある物たちに囲まれて最期を迎えたいと考えることもある。ただ自分は、大切なものだからこそ自分の目で最期を見届けたい。そう思ってからは、使わない物は「使われずに長年放置されている物」ではなく「役割を果たしてくれた物」として、むしろ積極的に捨てるようにしている。
寂しいか寂しくないかで言えば寂しいことの方が多い。物に命が宿るという話も否定しないし、使っていなくても愛着や思い出があるものがほとんど。ただ、それでも、いつかはやってくる訳で。(神社によっては供養やお焚き上げもしてくれるらしい。それもいいね)だったら自分はという話でした。
つまりまあ、掃除中って話ですわな。戻ります。