だだだ

自分の、自分による、自分のためのルールを言語化することにした。自分の人生を少しでも豊かにし、精神衛生を保つ為だ。

問題は自分の意思が圧倒的に弱く、毎日絶対に筋トレや勉強をしようとかだと絶対にいつか破ってしまうことが目に見えているところだ。自分で決めたルールも守れないという自分を生み出さないためにも、少し言葉の工夫が必要だと感じた。

まずは一つ目。

「23時を過ぎたらデスクチェアから立ち、洗顔と歯磨きをする」だ。

もう時間がないので理由などについてはまた今度。

自分を守れるのは自分しかいないのだ。

2023/02/04

1年ほど前から妖狐×僕SSを公式アプリで公開される限り読み返している。

歳を取ったからなのか、10年近く前に漫画喫茶で一気読みした時にはない感動を覚えながら読んでいる。というか、これは今の悩みでもあるけれど、漫画や小説を読み流すように雑に読む癖があったせいでもあると思う。

もう一つ悩みがあるのが、感情や感想をうまく言葉にできない。読んでいる時はあまりに目や心を奪われていて胸がきゅっとなる。絵の切り取り方、言葉選び、光と影の使い方…キャラクターの意志や感性に引き寄せられる。絶対にもっと上手く言葉にできるだろうに…と思うけど、感情表現で言えば方法は一つではない。声だったり絵だったり文章だったり音だったり…まあそれは言語化ができなくていい言い訳にはならないとも思うので、もうちょっと心の整理だったり注意力や語彙力を上げていくべきなのだろう。

何歳の時にこの作品を描かれたのかを知りたくて藤原ここあさんのWikipediaを見た。何を感じながら生きてきたのだろうとか、普段はどんな調子だったんだろうとか、少しでも知りたいと思った。

 

さらにもう一つ悩みがあるのが、最近こういった自分にとって特別に感じる漫画は電子書籍ではなく本で欲しいと思うようになった。今は電子化されていない「よつばと」のみ家にあって、それ以外は電子版で買うようにしている。前回も書いたが物はいつか必ず捨てる時が来る。なのでデータで買える以上は本で買わないようにしていた。けど…それに勝らんばかりに所有欲が出てきてしまっている。

横槍メンゴ先生の「クズの本懐」が重版されると聞いた時からだ。漫画をバイブルと考える人は決して少なくないと思うのだけれど、みんなにもそういう漫画(漫画以外でもいいけど)はあるだろうか。どんどん話が逸れてしまって申し訳ないけど、今全て書籍で揃えるとしたら…と歯磨きや洗顔をしながら考えてみた。でも所有欲が出てきたのはあくまで今の自分が読んで刺さっている作品に対してであって、近頃読んでいる「いぬぼく」と割と最近読み返して記憶に新しい「クズの本懐」以外はパっとは出てこなかった(昔読んでいた作品を考えたらあれもこれも欲しい…とはなったがきりが無いので割愛)。

所有欲で挙げるとBlu-rayやCD、それらをより深く楽しむ為の映像・音響機器など(家庭用プロジェクター popIn Aladdinが気になっている)、何と言うかもう本当にきりがないの一言に尽きる。どれもいつか…

 

未だ全てを読み返せていないのでこの意見感想が不完全だと理解しつつ、でも既に色々多くのものを再び頂いている感覚。引き続きじっくり読んでいきたいと思います。

 

2023/02/02 01:53

たくさん物を捨てて模様替えをした。

使う物と使わない物で分けるとするならば、捨てない物を選ぶ方が圧倒的に早い。

長く取ってあるものを捨てることはできますか?

できる人もいればできない人もいるだろう。俺は結果的には捨てるんだけど普通に寂しい。ただ俺が今捨てなければいつか他の誰かが捨てることになるのかもしれない。だったら自分の手でしっかりお別れしたいと思う。使わないでいるまま朽ちていくのと何が違うんだろう。所詮自己満足に変わりない。

大事なことは心に残ると言う。でも、それほど重要ではない何気ないひと時がどうしようもなく愛しくもなる。それ以上に新しいことを詰めようと自分を奮い立たせるけれど、それが10年後も20年後も同じ考えをしているかは分からない。進むことを止めれば必然的に振り返る機会が増える。あの時はこうだった、良かった、またやりたい、戻りたい…大人たちが過去を自慢するのをうんざりしながら聞いていた自分も同じ人間になってしまうのだろうか。

嫌だなぁ。

ハト、カモ、テヌ

自然に触れたいと思い、とある庭園に行ってきた。

 

そういえば最近は天気が崩れ気味でしたね。行った時はまだ寒波が来る前だったのがもう恋しい。

日向ぼっこをしながら30分くらいぼけーっとしていた。自然の多い場所ですれ違う人は何故かみんな優しい人のように感じる。老夫婦、親子、若い女性の二人組、カメラを持つ女性、一人でずんずん歩いていく若い男性、普段だったらすれ違った人を覚えていることはまずない。けれど普段は移動中に次の予定のことを考えたり、立ち止まってもスマホを弄ったり音楽に集中したりしているからその分の余裕が生まれるのかもしれない。

カラスの声や羽ばたきに驚き一斉に飛び立つハト、カモ、テヌ。怖い。

 

人を愛せる角度を探す、というのはあるなあと思う。

極端かつ抽象的だけれど、孤独や寂しさというのは期待の裏返しでもあると考える。

距離が近くなると期待をしてしまう。もっとこうしてくれるんじゃないか、こう返してくれるんじゃないか…そして期待すると、いつかどこかで勝手に裏切られたような気持ちになってしまうこともある。そうならない為には他人に期待しないのが一番だが、それが虚しさに繋がっていることも重々承知だ。

だから、ちょうどいい距離があるんだと思う。難しいね。

美意識

初めての緊急事態宣言が出てお家時間が急増した時、YouTubeで小顔マッサージやスキンケアの動画を見るのにハマっていた時期があった。●分でできる小顔マッサージや洗顔ルーティーンなど。それを真似ることで自分磨きをしようとしたのは良い心掛けだったと思う。Youtuberやアイドルの勧める美容グッズを買ったりもした。ただ結果的に現在は全く使っていないし殆どやっていない。年齢を重ねるごとにスキンケアの重要性を感じてはいるものの、分かってしまったのだ。自分には続かないと。

そう、スキンケアで一番大事なのはケアのクオリティを落とさず保つことなのだ。それを教えてくれたのはとあるメンズアイドルのインフルエンサーだった。

その人は多くの工程を積んだことで男性にしては少々不自然なほどに美しいお肌をされていた。ただ動画を見ていると本末転倒だなと思う瞬間がある。動画でスキンケアの有効性を示す為に、敢えて一度肌の手入れをサボって肌を汚くするのだ。視聴者からすれば効果を分かりやすくしてくれるのはありがたいけど、誰より美しい肌でいたいであろう人がそのようなことをするのはビジネスとはいえ少し違和感を感じる。それはさておき、恐ろしいのが肌の手入れをサボった期間の短さだ。その時見たのはいちご鼻についての動画で、確か数日〜1週間程度のサボりで黒ずみが復活していた。あれだけ普段から頑張っているのに、たった数日手を抜くだけですぐ逆戻りしている姿を見て戦慄した。週に一度や二度頑張るだけでは不完全で、中々に面倒な工程を毎日続けていかないと完璧な肌を保つことはできない…自分からするとシビアな世界に、大人しく動画を閉じることしかできなかった。面倒すぎる。

つまり、頂点は目指せないと分かった上で、自分にできる範囲で妥協することが大事。これが今ある唯一の美容意識だ。発生する時間、お金、義務感。無理にルーティーンを増やしたり高い美容品を買うことはなく、やってないよりは楽にできるものを最低限やっているという状況が自分には最も丁度良く感じる。

髭脱毛、髪型と眉毛を整える、適度な運動、食生活、睡眠、メイク、水分補給、ホワイトニングや歯列矯正…細かなケア以外にもできることや大切なことも多い。ただ美容そのものが好きな人はいるのだろうが、良く見られたいというモチベーションがないとこれ以上の美意識は目覚めそうにない。好きな人ができると可愛くなるというのは真理だなと思う。

 

 

ビリヤード

20歳の頃はやたらバイト先の先輩に遊びに連れて行かれた。

その人はボーリングとダーツとビリヤードが得意で、コーヒーが大好きだった。一応大学生だった俺は先輩どころか同級生にも遊びに行くような友達がいなかったので、当時遊び方を教えてくれたのは殆どこの人だった。遊びと言ってもお酒・ギャンブル・風俗からは縁遠く、最終的には何故かずっとビリヤードを教えてくれた。ビリヤードだけで(強制的に)オールすることもあった。

プロでもない学生が後輩にビリヤードを基礎から教えるという発想は多少ユニークに感じるが、今でこそ真っ当かもしれないと思うようなことがあった。

先日、飲み会の二次会でダーツとビリヤードを久々にやったが全員がほぼ未経験だった。自分もあまり上手ではないが、正直経験がない人がやるには絶妙に難しくて楽しみにくい競技だと思う。何とか楽しんで貰いたいと程よい玄人感と素人感とほんの少しのピエロを演出して盛り上げようと試みたが、盛り上がった一次会と比べるとギリギリ盛り下がってしまった。自分も苦手な分野において痛感するが、できないもの・或いはレベル差がありすぎると場は盛り上がりにくい。そこでその先輩のことを思い出し、自分と対等以上のレベルで遊んでくれる人を求めていたんだなと理解した。飲み会や二次会を楽しむという点ではノリが一番大事だとは思うが。

ただちょっと、或いは本格的にダーツ・ビリヤードが好きな人からすればライバルがいるのは非常にありがたい。一人でも楽しめなくはない競技だがやはり人と競るのが楽しい競技でもある。ダーツは何故か最初からそこそこ人に勝てたので、調子に乗ってマイダーツを買って一人で投げに行くこともあった。けれども一人で投げると相手が自分の記録だけになってしまう。すると明確なスコアアップだけが目標になり、楽しさよりもスコア更新の失敗経験や歯痒さの方が強まってしまう現象が起きてしまうので近年はすっかり通わなくなってしまった。ビリヤードにハマっていたとしても似たような結果になっていたと思う。プロを目指す気はないのでどこかで実力は止まる。その上で競技を楽しむには似たレベルの人と勝負するのが一番楽しいのかもしれない。というところで、ちょっと変わった先輩だったけど根気強く後輩を育てようとする姿勢は憎めないなと今では思う。

余談だが、先輩は最初一通り(ボウリング、ダーツ、コーヒー、ビリヤード)連れて行ってくれた。ボウリングは余りに上達せず、ダーツは何故か直ぐにそこそこ勝つようになってしまい(ほぼ運)、コーヒーは何を飲んでも一向に美味しさが分からず、ビリヤードは普通に下手だったけど、強いて言えばビリヤードが一番お互いが楽しめるものだと思ってくれたのだと思う。もうあまりやらないけど年に一回くらいはやりたい。

コーヒーは未だに飲めない。