LINEギフトの欲しいものリスト、全人類に送信されて欲しい

自分には何もないと時々思う。失ってしかいないとも。

能力やキャリアを積み重ねていく人、同棲や結婚、はたまた出産の件を嬉しそうに話す人、帰り道に通りかかる居酒屋で楽しそうにしている人たちを見かけたりなんかするとそんな発想をしがちである。

けれど最近、失ったものの方が多いなんてことはないとも思うようになった。

単純に考えて、手に入れたり出会ったりしたものしか失いようがない。どんなに強く長く孤独や喪失感を感じ続けるとしても、客観的に見れば持っているものの方が絶対に数は多いはずだ。五体満足であること、親、友人がいること、磨いてきた技術など。失う可能性はあれど、全て以上を失うということは絶対にない。生きている以上は誰しもが何かを持っている。当たり前の幸せというのは悲しいことに感覚が麻痺してしまう。本当は幸せなはずなのに当たり前=0と認識されてしまう。それは紛れもなく寂しいことだ。

人は幸せな体験より悲しい体験の方が頭に残りやすいらしい。それは飲食店で働いていた時に体感していた。100人の優しいお客さんよりも1人の悪質クレーマーの方が頭に強烈に残ってしまう。想像だけど、生存本能からくる危機回避の一種だと思っている。生き延びる上では成功より失敗から学ぶ方が先決。きっと人間の多くはそういう風にできている。幸福や長所よりも、失敗や短所に目がいくようにできている気がする。

ただこれは今まで散々(自分の中で)口にしてきたことだけど、俺は失敗や短所は完全なネガティブとは思っていない。短所が存在すること自体は誰にでも言えるし、長所もいきすぎれば短所になり得る(反対もそう)。大切なのは見方だ。複雑な気持ちだけど、1人のクレーマーの存在によって同じ目に遭わないように工夫ができる。これは成長のきっかけと言える。弱さを知ってどう行動するか、何の為の強さなのか…自分の行動原理についてはよく考える。不要なものは気にしなくていいし、必要なものはマイペースで向き合えばいい。それは絶対に他人に押し付けられるものではない。

本当に大切なことだったり本音っていうのはポツリポツリ出てくるものかもしれない。だとすると、ブログに考えの全てを網羅して精査して残すという作業は実は途方も無くて、更新が大変というのはまさにその通りとも言える。言葉にできるかはともかくとして、自分の本心は気がつけばすぐ心の奥底に消えてしまうのでできれば毎日向き合いたいし、向き合うべきだとも思う。座禅でもするか。

 

最近めっちゃ聴いてる↓

melt / SennaRin

サイレンと東京 / Hakubi

ドキメキダイアリー(feat.Chinozo) / asmi

君と夜明け / FOMARE

Shuffle / 奥井雅美

↑懐かしすぎかっこよすぎ

 

ざざざ

時間があるから幸せかといえばそうではない。

時間があれば◯◯するのに、という文言には何の説得力もない。

やるかやらないか、それ以上でも以下でもないのだと思う。

 

ゴールデンウィークだからといって特に何をするでもなく終わった。それ自体は別に悪くは無いと思う。数少ない大型連休、思う存分だらだらするのも贅沢だと言える。大切なのは何気ない毎日の連続なのだ。反対にいえば、ありきたりな日々にメリハリをつける目標や彩りがないのなら…。それを心のどこかで分かっているので、本当の意味での安寧は訪れようがないのかもしれない。

頑張ってなければ休まりようがないよなという話。

自分に小さな嘘、見えないくらいの嘘をつき続けてきた実感がある。だから自分に起こる変化にも気づきにくくなる。喜怒哀楽だとか愛だとか、フィクションの中にしか存在しないのではないかとすら思う。

自分語りをするのは恥ずかしいというのと、自分のことから目を離してしまうというのはごっちゃになりやすいのだろうか。本当に昔のブログを思い返すとめちゃくちゃ自分のことを書いていそうだけど、それがある種、自分との対話ってやつに繋がっていたのだろうか。1人で長いブログを書きながら自問自答を重ねるような10代を送っていたことすら忘れていた。

人に見せる為のコンテンツと思うとそれは更新頻度が落ちてもしょうがない。面白かったりタメになるようなブログなんて一度も書いたことがないのに。

 

環境は人を変える。

小洒落たオフィスでそこそこ若い人もいる職場にいるせいで、2weekコンタクト、香水、平日用の整髪剤、皮のトートバッグを買ったりした。あまり着ていない私服たちもフル稼働するようになった。

毎週デートの約束があれば絶対にいい男になれる、と友人にふざけて言ったこともあるけどあれは本当にその通りだなと思っている。結局、普段どんな場所で誰とどのように関わりたいのかで人は簡単に染まってしまう。

今後恋愛をすることはなさそうと頭では思ってるので助かる。なんだかんだでお洒落を楽しみたい気持ちはある。今が一番若いのだから。

 

なにをというはなし

結局なにを言いたいんだろう、と考えると更新が止まってしまう。

自分はこう考える、だから大丈夫

(何かに否定をされない)

自分はこうしてる、だからすごい

(何かよりも優れている)

吐き出すことで楽になるのなら愚痴を言ってもいいと思うし、自己顕示欲を満たすことで前向きでいられるならきっと悪いことではないと思う。ただ、そうしている自分への嫌悪感が湧いてきてしまうなら口をつぐむのが吉と今は思う。

不安とか自信のなさを解消する為に根拠が欲しい…そこまではきっと多くの人が同じ。

その根拠を他人に求めるのか(他人に認めてもらう)、

その根拠を自分に求めるのか(自分に認めてもらう)、

どちらが正しいというより、どっちが先かという話かもしれない。

 

ブログやSNSは他人に認めてもらいたい側面が強いと感じる。その上で更新が止まってしまうので、自分は基本的に後者で、今は自分で認められる部分が少ないと感じているのだと思う。

 

大丈夫だよ、自信持って!という言葉で自信を得たことがない。

テストや試合前、人間関係の悩みなど、自分の中で納得がいっていればその言葉に嬉しさを感じることはある。応援したいという気持ちは受け取れるから。でも結局自分が納得できていないところを自信持って!と言われても自分の意見が変わることはない。

自分のことを一番わかっているのは自分しかいない。

すると何となく脳裏で「自信なさそうだから良かれと思って…」と反論する人物像が浮かんだ。書いた通り、応援したいという気持ちはありがたい。でも本当に求めているのは自分を納得させるだけの事実で、それは結果を出せるだけの努力や過程からしか生まれない。

自分が分かってればいいので、不安も見栄もわざわざ口にする必要性を感じない。

っていうのが頭の中の意見。

それでも喜怒哀楽が自分のキャパを越えてくるのが人間なので、溢れてしまったらしょうがないよなとは思う。

 

つまり、結果、何をいいたいんだっていう話。

 

追記

ボイトレのインストラクターに初めて会った時、

「理想の先生はどんな先生?」

と聞かれたのを覚えている。

当時の自分はうまく答えられなかった。

「精神論じゃなくて自分の事実を教えてくれる人」

とその人は答えた。

本当に成長したいことであれば、空気を読まずにストレートに言ってくれるのが助かる。出会えてなかったらと思うとゾッとする。

うなうな

過去の投稿を何となく見返してみると、写真があると直感的に色々なことを思い出せるなと思ったので画像フォルダを開いた。食べ物の写真ばっかりだった。

木。

 

終演後。

 

画像を貼っただけなのに結構満足してしまった。

 

通っているボイトレでまたスタジオをレンタルできるようになったので、今日も2時間半ほど歌い込んできた(結束バンド、&TEAM、宮野真守さん、れんさん、めいちゃんなど)。カラオケで歌うとベストな力感を保ちづらくなるのに比べて喉の疲弊感が出にくいし、同じ曲やフレーズを繰り返しやすいのも良い。もう本当に曲を覚えるのが遅いので可能なら歌いながら覚えたいと思う。

音楽の話で言うと、家にいる時にやたらと劇場アニメBlue giantサウンドトラックを流している。美容院で流れていて(店長が原作からのファンらしい)アニメのサントラっぽいなと感じ確認したら教えてくれた。ジャズは全く通って来なかったけれどめちゃくちゃ良い。映画も早く観に行きたい。

23時を過ぎていたのでここまで。写真を貼ったところまでが本日のピークでした。

あとサウナ行った。サウナは気持ちいいし家にはない体重計にも乗れるので好き。(買えという話)

 

 

だだだ2

「23時を過ぎたらデスクチェアから立ち、洗顔と歯磨きをする」という自分ルール。当初は23時を過ぎたら全ての作業を中断するというものだった。

ルールを決める為のルールも話させて欲しい。まず前回も書いた通り、自分の弱い意思によって簡単に破られるものではあってはいけない。筋トレや勉強はたまにやりたくなっても、それを自分の意思だけでは継続できないのは分かっている。ではルールを立てることに何の意味があるのか。自分はこれだけ頑張っているぞという自己顕示欲を満たす為の虚勢でしかないのではないのか。答えとして、生活習慣の乱れを防ぐ為(=自分を守る為)というのがルール作りの根幹になる。

「23時〜」のルールはまず夜更かしを防ごうというものだ。自分の場合は悪夢を見ることがそこそこ大きい悩みの一つなので、外出などの用事を除けば、夜更かしをするメリットよりも遥かにデメリットやリスクの方が大きい(早寝しても見る時は見るけど可能性は下がる)。翌日の体調や気分にも直結するのでこれをやらない理由はない。やらない理由がないというのはルール作りの重要なポイントでもある。デスクチェアに座っていてはパソコンをいじってしまうし、ただ作業を辞めるだけでは寝る準備をする前にベッドの上で携帯やiPadをいじってしまう。なので作業を中断した上で、後はもういつでも寝れるという状況を作るために今のルールになった。言い方は少しずつ変わってくるかもしれないが、おおよそは変わらない。

睡眠の質で言うと、寝る前の1時間〜2時間はデジタルデトックスをするのが理想的らしい。なので電子書籍ではなく紙の本で読書をするなどが理想的だろうけども、今は紙の本は殆ど持っていないし嵩張るのでこれからもあまり持ちたくない。ただ結局YouTubeなどを見てしまってはブルーライトが目に良くない…そういった、分かっているけどやってしまう悪しき習慣を打ち消すことが当面の目標や改善の余地になる。

二つ目のルールも少しだけ触れたい。「特定のSNSアカウントを見ないようにする」だ。少し抽象的な言い方になっているが(自分の中では具体的に決まっている)、これも自分に明らかな悪影響を齎していると判断した上で決めたことだ。必要・有益な情報をネットから得るのは決して悪いことだけではない。SNSの楽しい側面だってある。ただ今の自分からは切り離した方がいいなと思う瞬間が少なくなかったので、こうして自分ルールその2に追加した。

一つ目、二つ目も少しずつ改良しつつ、三つ目以降はいよいよ自分磨きに関する内容を決めていきたい。方向性は何となく決まっているけど、これは他人の例を鵜呑みにするだけではなく自分との対話によって決めたいのでもう少し時間がかかりそうだ。何も為していない人間が偉そうに自分の考えを語るのはどうかと思う一方で、思考をとにかく言葉にするというのは思考の整理に伴い睡眠の質を向上させる効果があるらしい。だからという訳ではないけれど、自分との対話で生まれた何かは積極的に言葉にできたらいいかもしれないと思っている。ちなみにルールは取り敢えず五つの予定。時間なのでさよなら。

 

だだだ

自分の、自分による、自分のためのルールを言語化することにした。自分の人生を少しでも豊かにし、精神衛生を保つ為だ。

問題は自分の意思が圧倒的に弱く、毎日絶対に筋トレや勉強をしようとかだと絶対にいつか破ってしまうことが目に見えているところだ。自分で決めたルールも守れないという自分を生み出さないためにも、少し言葉の工夫が必要だと感じた。

まずは一つ目。

「23時を過ぎたらデスクチェアから立ち、洗顔と歯磨きをする」だ。

もう時間がないので理由などについてはまた今度。

自分を守れるのは自分しかいないのだ。