終戦

 

ストレスを処理できない可哀想な人というのがとてもしっくりきました。

 

さっき帰りで何かしらんおじさんが何か知らんけど怒鳴ってるのを聞いたりとか、ユニクロでようやくパジャマを買ったらまさかの商品手押しスライドで渡されるだとか、なんだこいつ~~~~~~って思ってたのも、その人がストレスをうまく処理できない可哀想な人って見下すことで感じ方がかなり変わりました。

 

店員さん的には多分新春セールとか単純に勤務内容かその他でストレスがあって態度が雑になる。でそういう接客をされた俺は単純に不愉快になる。ここでクレームを言いつけても疲れるし多分どんなにうまくやっても時間が結局もったいない。じゃあ自分が単純に我慢すると今度は俺がどこかでそのストレスを爆発させる(させないけど)。そこで内心「このババアは働きすぎて余裕ないんだ、色々あるんだろうけど全然処理できてねえんだなあ、可哀想に」と感謝の気持ちは一切出てこないあたり自分のことしか考えてないんだけどまあそれはおいといて。

 

結果こっちがイラつくことが無くなるわけではないけどそこでやり返しちゃったらそいつと同じになっちゃうし、自分の中でうまく収めればいいんだな~、なるほどな~と思いました。自分のことしか考えないって言い方はめちゃくちゃ悪いけど、いい奴ほど損する世界っていうのはここだよなー。ほんとにいいやつはそんな考え方しないから基本自分で受け止めるんだろうし…自分なりの処世術がはっきりしてた方が絶対いいよね。

 

自分を一切曲げない人とか話全然聞き入れる気ない人とかも時々見るけど、そういう人も可哀想な人だなー、ととにかく見下すことが自分を楽にするな…と。

 

とはいえいい奴ほど損するっていうのは解せないよなあ…どう考えてもクズの方が痛い目みるべきなんだろうけどねえ…結局自分を守れるのは自分しかいない訳で、その為にはああいう分かりやすいエッセイとか作品で知ることもきっかけの1つだ。自分が心から納得してること前提だから意見が先歩きしちゃうとよくないけども。

 

昔友達とコンビニ行った時なんかめちゃくちゃな態度の人いたから自分の番来た時逆にでっかい声で「はい!ありがとうございましたぁ!!」って目合わせにいきながらお礼言ったことあったわ。頭おかしい。超すっきりしたけど。

 

 

正月にね、ふと思ったんですよ。

正月太りって言葉はあるけど○○痩せってないよなあ…と。

そうなんですよ。もう大人になっちゃうとね、太っていくしかないんですよどう考えても。

蓄える機会は増える割に放出する機会は減りますからねえ…

 

そう思ってから朝食は自由、昼食はサラダチキンとさけるチーズ、夕食は食べないという生活を始めてみました…週に1回夜ラーメンかうどんかそば食べてるけど。それくらいの楽しみがあった方が続くのかなあと思わないでもないです。その時の外食がまあうまいことうまいこと。あ、でももうそれできなくなっちゃうのか…ああ…

 

これは自分なりのルールなんですけど、欲は思いっきり発散する、けどちょっとでも迷った時は絶対に贅沢はしないって決めてるんですよ。

コンビニのちょっとした買い食いとかしないんですよね。ごくたまにやるならチキンもお酒もお菓子もスイーツも何もかも買っちゃうけど何となく惰性でコンビニ来た時は何も買わずに出るようにしています。ありがたみを大事にしたいんですよ。焦らせば焦らすだけ味わった時おいしいし、そういう感動に慣れたくない。一生こういう感覚でいたい。

 

 

それでは。