9月の終わりを目前に東京の天気は秋を物語り始めた。特に朝の空気といったら夏の蒸し暑さを振り払うかの如く、どこか見晴らしのいい公園にでも出かけたくなる気分だ。去年の秋も同じようなことを考えていたのだろうかとぼんやり思う。すると季節の移り変わりとは裏腹に、自分の成長や進展具合に思考は徐々に曇天模様へと向かっていく気もする。このまま冬を迎え、年越しを迎え、春を迎え、年度末を迎え…時間は決して待ってくれない。自分には何があって何がなくて、何があったら良くて、これは無くても良くて…いつまでそうやっているつもりなのだろう。いつまでこうやっていれるだろう。もちろん24時間ではないが、秋は憂いを加速させる季節でもあると感じる。だがしかし自分はそんな秋が一番好きだ。悩む時間が増えるといえば聞こえは悪いが、結局のところ考えてしまうものは仕方ないというのが自分に与えた赦しの一つでもある。すると「それも自分なんだ」とごく自然に思えるようになった。つい黄昏たくなる秋。夏や冬のような華やかさにはやや欠けるものの、緩急で言えば「緩」に感じるこの季節。水を得た魚とまではいかないが、無性にしっくりくるから不思議な感じがする。

 

あと3ヶ月ほどでクリスマスを迎える。これまでは自分には関係ない行事として割り切っていたが、そろそろ情が理屈を越えようとしている。羨ましい。異性とデートがしたい。自分の社会的立場や性格を考えれば、今誰かと付き合ったりというのは現実味がないと理解している反面、そういった刺激のない年月に対して本能が「いいの?もう若いノリでデートできないよ?30歳超えたらいよいよ難しくなるよ?」と警鐘を鳴らしている。まあ、ブログに書いたところで何かが変わるわけではないが…下心は抜きにして、日頃から誰かと遊んだりという機会も少ないので、行事やイベントに乗じなくてもいいやという部分が普段に比べ少し弱まっているのだと思う。楽しみが欲しい。それは誰しもが思っていることだと思う。世の中には同じように思っている可愛い女の子も少しくらいいるはずなのだが…まあ、今年はずっと家でギターかピアノを弾いているだろう。誰か俺様を攫ってくれプリンセス。そういうとこだぞ。