肝試し/LINEのグループが嫌い/遺伝子

肝試しというコンテンツがある。

肝試しとは、怖い場所へ行かせて、その人の恐怖に耐える力を試すことである。もっぱら夏の夜に行なわれ霊的な恐怖に耐える、日本の伝統的なゲームの一種。試胆会ともいう。

肝試しが得意という人もいれば不得意な人もいる。今日は「得意とか不得意という話ではなくね?」と思ったことを書く。

結論から言うと、恐怖からは一刻も早く逃れるべきなので、むしろ不得意であるべきではないかと思っている。

先ほどまで夜風に当たりたくて散歩をしていた。街灯や人通りが少ない住宅街を通りかかったところ、静寂の中に鳴り響く風鈴の音に不気味さを感じた。これがホラーゲームなら、後ろを振り向けば“何か”が現れるところに違いない。一度そう考えた途端、心霊体験をした友達の話を思い出したり、「実は自分は死んでいて、今潜在意識だけが街中に降りているんじゃないか」みたいな空想妄想が始まったりした。散歩といいながらもいつも歩いたことのない道を攻めがちで、全く知らない場所に居続けたのも良くなかった。

嫌な想像ばかりが先走ったものの、特に何があるわけでもなく、いつの間にか見知った道へと戻ってきていた。そして冒頭の話へと至った次第だ。

そもそも、肝試しの得意不得意とは何をもってして定義されるのだろう?

・予想外のことがあっても驚かない(⇔驚く)

・緊急時でも焦らずに行動できる(⇔パニックになる)

・危険を危険と感じない(⇔危険からはすぐに逃げる)

大体はこんな感じだろうか。

2つ目は得意であるべきだと思うが最後の1つはどうだろう。護身術を紹介するYouTubeをいくつか見たときは、「対人トラブルなら己の力を過信せず、できれば暴力ではなく話し合いで解決するべき。いきなり襲われた時にその場を凌ぐ能力にすぎない」と結論付けられることが多かった。勝てる勝てないというよりは処世術。話し合いができないような凶暴な相手となると、流石に多少の力があっても無傷でことを収めるのは難しそうだ。すると少しでも危険を感じたら何もせずに物理的に逃げることを優先するべきだし、その時はもう逃げることがかっこいいとかかっこ悪いという話からはとっくに遠ざかっている。対峙するのはあくまで仕方なくで、少しでも早く逃げれる方が良いに決まっている。

肝試しとは、怖い場所へ行かせて、その人の恐怖に耐える力を試すことである。

 

は?

 

恐怖に耐えられるというのは、言い換えれば、逃げるという選択肢から遠ざかっているのではないだろうか。予想外の危険を察知した瞬間に必要なのはまず「状況把握」そして「状況判断」だ。これが遅ければ遅いほど生存のリスクは下がるに違いない。しかし肝試しは暗いところでやると決まっているので、状況把握は非常にしづらい。物音がしたと思ったら、死角から襲われるということもあるだろう。つまり、肝試しや夜道においては常に「すぐ逃げる、あるいは逃げられる道を選ぶ」ことが生き残る上で重要だと考える。女性が夜道を歩くことを考えればもっと納得しやすいかと思う。

そもそも危険な場所には近づくべきではない。恐怖に耐えることよりも、恐怖に繋がるような選択肢を取らない判断力や想像力を試すべきではないだろうか?車の教習所でやった交通シミュレーターのゲームを思い出した。

肝試しでかかる恐怖は基本的に(よほど霊感のある人はわからないが)「何が起こるかわからないこと」だ。正体不明のものと対峙する時に、笑ったり動じなかったりすることは、娯楽として考えれば得意といっていいのかもしれない。けれど一方で「反応鈍くないすか?本当に何かあったら真っ先に逃げるべきなんじゃないですか?」といいたくなってしまう気持ちもわかって欲しい。勇気と慎重、無謀と臆病。どっちも長所であり短所となるし、それをわざわざ肝試しを通して得意と不得意の話にすり替える必要もないと思う。怖いものは怖いやん。

 

グループLINEが昔から嫌いだ。仲の良い人が集まって雑談などの為に作られるのは嬉しいが、一度きりの集まりの為にグループが作られるとめちゃくちゃ萎える。

使わないグループに対しては「使わないんだよな…話す用事もないし…寂しい…こんな思いするくらいなら別になくて良くね…?」と思ってしまう。かといってグループを抜ける度胸もなく、いつももやもやだけが残る。

多分、昔から人に何かを求めてしまいがちなのだろうなと思っている。

明らかに用事があって話をしているのに反応しない人もいるし(遊びだけでなく仕事関係でも)、そういう人にめちゃくちゃイライラする。何かしら同じ目的を共有してグループを作る以上、既読をつけたなら何かしら反応するべきだと思ってしまう(忙しくて返せないのはしょうがないけど、だったら返せる時につけてくれやと思う)。反応がないなら「ああ、この人にとってはその程度のことなんだな」と感じるし、仕事なら個人で詰めるし、プライベートなら普通に距離を取るようになる。そういう対応をすると自分の心の狭さを感じてストレスになる。だったら最初からグループなんかなくていい。

もし自分が何かしらのチームリーダーになったとしたら、手が回らなくなるまでは個人チャットで用事を済ませるだろうな思う。諸々の意思疎通ができて初めてグループにする選択肢が生まれる。グループだから話し合えるんじゃなくて、話し合えるからグループになろう的な。結婚とかもそんな感じだろうか。とにかく、適当に対応される人とはそれが気にならないくらいまで距離を取りたくなってしまうので、とりあえずグループ作っとくかという風潮はぜひ廃れて欲しい。

 

Pay money To my Painというバンドの映画「SUNRISE TO SUNSET」のティーザー予告編動画が公開された。今の自分に遺伝子レベルで刻みついている音楽と魂、それが映画館で感じられるのは本当に嬉しい。自分はバンドマンではないので周りにも音楽好きな人も少なく、生涯でPTPが刺さった人とは殆ど会ったことがない。何なら一番PTPの話をしているのは神サイのVo.柳田さんのツイキャスでコメントを拾ってくれた時かもしれない。(めちゃくちゃ研究されてるんだなというのがフェイクとギターコードから強く感じる)

天元突破グレンラガンというアニメの映画も4DX/MX4Dで上映されるらしい。こちらも自分にとっては起源にして頂点といっていいほどの作品で、再び良い環境で観られるのは嬉しいし、これをきっかけに新しいファンが増えることにも期待したい。

遺伝子ってどういうことかというと、これもまた長い話になりそうだ。自信のない時、失敗した時、不安な時、独りの時。そんな時に寄り添ってくれたり、背中を押してくれたり、共感してくれたり、光を見せてくれたり、ああなりたいと思ったり、それが原動力になったり、ずっと忘れたくないと思ったり、そういうものだ。

生きる上で「たくさんの好き」を用意するべきだなと感じる。少ないと、そこに何らかのしがらみがあった時に辛くなってしまうから。けれど好きになる努力はできても夢中になれるかは別の話だ。だから何かにハマっている人を見ると羨ましく感じることがある。これからも色んな出会いがあるといいなと願うばかりだ。