また来年

暑さを感じるたび、今年はもういいよ……来年また味わってやるから……という気分になる。

毎日暑さを呪っていた甲斐もあり(嘘)今夜はかなり涼しい。一年で最も好きな温度感。

 

土手沿いを散歩していると、若い子たちが寄り添うように座り込んでいた。その隙間から覗く光や火薬独特の匂いがなんとも懐かしく、今年も結局、いやもう何年もやってないなあ…と思う。夏らしいことをしなくとも夏は終わってしまうのだ。

じゃあその後悔を生かして秋っぽいことや冬っぽいことをするのか?

まあ、しないんだろうな。

 

とはいえ来月は楽しみなことや、いよいよか…と思う予定などを組めつつある。

ずっと生の歌声を聴いてみたかったSennaRinさんのLIVE、親知らずの抜歯、1泊(予定)大阪旅行など…。

親知らずは20歳の頃に2本抜いた。残りの2本は横に埋まっているので切らないと抜けないねと言われ敬遠していたものの、最近、どの道5年後くらいには抜くことになると思うと言われたので(もっと早く言ってくれ)ついに決心した。それが終わったらローンを組んで歯の矯正をしようかなと思っている。

 

月並みなことだけど、楽しみがあれば少しは前向きに生きられるかなと思っている。

どうしても目の前のことに必死になったり、反対に脳死で過ごしてしまったり、予想できる日常と予想できない未来に退屈さや不安を感じながら過ごしてしまいがちだ。

「こう過ごしている自分は大丈夫」なんて思えることはないだろう。

ただまあ、好奇心が芽生える限りは、それに従うのが生きるってことじゃないかとも感じている。

 

アリスとテレスのまぼろし工場という映画を見た。

端的に言って少し理解するのが難しい内容だなと思った。けれどテーマの一つに挙げられる「どこにも行けない閉塞感」はコロナ禍ならではの発想なのかなと思ったし、見通しできない世界(未来)にどう勇気を持って踏み込もうか…というのは多くの人が悩みとして持つものだから、人を選ぶようで実は多くの人に刺さるのではと感じた。

 

最近、歌が全然うまくならないなと悩んでいる。

音域がだいぶ広がってきて、キー選びに苦労する機会が減ったのはとても嬉しい。ただ、求めるうまさ(=表現力)は全くと言っていいほど変化を感じないし(主観的に判断できないものなのか?)、何なら下手になっていないかと感じる。アウトプットというよりはインプットの話で、喜怒哀楽や感情の起伏、人生経験そのものが希薄になっているからではないかと予想する。豊かにするためには色々な方法があるだろうが、前提として「自分に嘘をつかない」ことが鍵になっている気がする。演技もそう。無意識に色々とブレーキをかけてしまうのは本当にもったいないね。